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自分の弱さを認めましょ

さて、こないだ書かなかった
「人でなしの恋」の暗くて重くてしんどそうなとこ、
いきましょうか。

外はカンカン照りだけど。


逆説的かもしれないが、腐人は、
自分の弱いとこ、ダメなとこを認められてこそ、
初めて人は強くなれるんではないかと思う。

覚えのあるとこでいえば、
どうにも苦手な科目があり、
それが行きたい学校の入試科目の必須の1つの場合、
まず、自分はこれが苦手だってことを認めないと、
どうにもならんでしょ?

それと同じ。

まず、それを認めたうえで、
苦手を克服するのか、そうではなく
得手を伸ばしてそっちで苦手の低い点数をカバーするのか、
って戦略をたてることになるじゃん。

だから一番大事なことは、
現実に存在するネガティブポイントを正しく認識すること、
だと思うんだよ。

そこをごまかすと、
戦時中にあったよーな鍋釜供出っちゅー
意味のないアホなことをやるんだな。


はっきりいえば、
そんな見え見えの弱さ、ダメさをごまかそうとする行為自体が
腐人には、アホにしか見えないんだが、
世の中、意外と自分の弱さを認められない人が多い。

そして、そういう人にそれを指摘すると、
烈火のごとく怒るのだ。

どん底にいたころの村上のように。


なんだっけ。
最近読んだ本(たぶんBLかマンガ)に
「怒りとは、怯えの表れ。
 怯えていることを悟られたくないから、怒る」
ってなのがあった気がする。

ん?スマナサーラ師の本だっけ?

あと、認められないのには、
「恥ずかしい」という気があるんだろうか?
その辺、それがどーしたと思ってる腐人にはよくわからん。


ま、そーゆー意味で、村上の裡にある怯えを
ものすごく的確に描いてるなぁと思ったのが、
マンガの『期限切れの初恋』の描き下ろし「phytoncide」。

この、人から否定されたり、嫌われたりすることが
ものすごく怖いってのは、
生まれてこの方、
なんも考えずにマジョリティ路線歩けたやつに多い傾向。

どんな集団からも浮いてしまう人生を歩んでる腐人にしてみたら、
なんでこんなことを怖がるのか、
価値観なんぞいろいろあるんだから、
世の中に否定する人嫌う人がいて当然だろうが、と思うんだけど、
常に真ん中人生歩んできたやつには、
それがわからんらしいんだなぁ。

だから、怖い。
だから、そうしようとする人に圧力をかけ、力で脅し、
排除しようとする。

パワハラやってるやつなんて、ほとんどがそう。

そのメンタリティは、
ギャーギャーわめいて駄々こねれば
自分の言い分が通ると思ってる3歳児と同じだ。


「人でなしの恋」の最後で、
リボーン村上は、よーやくそれを認められ、
かつこの人になら弱い自分をみせてもいい
っちゅー安住の地をみつけたわけだから、
まーあとは、腹見せても安心とばかりに
図々しくなり過ぎないようにな。


で、もうひとつの「トクシュ案件」。

自殺というキーワードは、
腐人もどうしてもひっかかってしまう。

ので、まーいろいろそういう本も読むのだが、
読んで、経験して、考えて、到達したところとしては、
やっぱり「手段として否定したくない」かなぁ。

自分がその苦しみから助けてあげられないのに、
変わってあげられないのに、頭からそれはダメって、
腐人はいえない。

だから、甘えというより、
腐人は逃げる手段の1つとみてるので、
同情というより、これで楽になれたかい?と思うんだよな。

だって、端的にいえば、
生きてることが苦しいから死ぬんでしょ?

まぁ、抗議の意味の人もいるかとは思うが。


実際、腐人もそう思うよ。
生きるって、すげーしんどい。

でもまーいろんな義理だのしがらみだの責任だのを思うと、
ああ、生きなきゃな、そこまで無責任ができんな、
と思うし、
そこをもうどうでもいいと思えるほどの苦しみもないので、
たぶん今、死んでないんだろう。

ただまー、そういう「逃げ」に対して厳しい姿勢になれば、
またそうやって無責任に放棄された結果、
その後始末を押し付けられ、すごく苦労した経験とかあれば、
志摩のような心境になるのかもしれない。

さらにそこから逃げる方法ってのもないわけじゃないけど、
それはずるい知恵や金や実行力をもった大人じゃないと、
できない部分があるからねぇ。

志摩の言葉をひろっていくと、
ああ、もしかしたら志摩って
そういう経験をしたのかなとか考えてしまう。


でもね、近しい人が死んだとき、後悔がないことってないと思う。
これは自殺に限らず、どんな死に方でも。

まぁ、自殺はその度合いが強烈なだけで、
亡くなった方とのつきあいが深く、
いろんな感情とともに、
たくさんの思い出があればあるだけ、
いろいろ思うことが自然。

むしろ、それを抑えたり、考えないようにしたり、否定すると、
たぶん、その喪失の事実が受け入れられず、
自分の歯車が狂ってくるんじゃないかなぁ。

なんとなく、その後悔や苦しみも含めた
「いろいろ思うこと」を昇華する過程が、
「供養」ってやつなのかなぁと、最近思う。


自分を取り巻く環境条件からすると、
最後はトクシュ案件になって、
どなかたの手を煩わせそうな気がするので、
その場合は、コト切れたらすぐわかるよう、
チップ埋め込みでぜんぜんかまわないので、
生体反応が消えたら即、
葬儀屋か近隣病院にアラームが鳴るようなシステムを
腐人がヨボヨボになるまでに作ってくれたらいいなぁ
と思っている。

別に全老人にチップしこむを義務化するじゃなくて、
希望者にそうしてもよし、って社会にならんかなぁ。


ってか、孤独死自体、腐人は大歓迎で、
なんでそれが悲惨とかいわれないかんねん!
と思ってるから、
今の孤独死に対する政治家や報道のありようって
もんのすごく嫌い!

人は絶対死ぬねんから、
死んだときにすぐ発見してもらえさえすりゃ、
そんでええんちゃうん。

死ぬまでは好きに生きてもらい、
死体になったら早く回収してもらえりゃいい。
問題は、早く回収されるシステムができてないことだ。

こないだの『94歳。寄りかからず。前向きにおおらかに』
吉沢さんを読んでいて思ったが、
はっきりいって、
自分でたてる人に余計な手出しをすることは
むしろその人から生きる支えを奪い、老いを促進させる。

だから、チップ埋め込みだとか、
それが嫌なら、たとえば、毎日、
生きてますよを知らせるボタンを押すとかをして、
自分でどうしようもなくなった死体の始末んとこだけ
手を出してもらう、ってのができりゃええのになぁ。

したら、BCコーポレーションの皆様も、
そんなに大変やなくなると思うんやがな。

その実現ためには、選挙いかんとなー。
暑いけど。
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[ 2013/07/21 ] 腹黒読書録 | TB(-) | CM(-)
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