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だらだらいくぞ、おーっ!

●組み体操とツタヤ図書館
最近、マスメディアで、よく目にするこの2つ。

なぜにこう右に倣えの論調なんだか、
独自の切り口はないんかい!と言いたくなる。

まず、組み体操。

運動大嫌いな腐人がもし生徒だったら
「怪我したらどう責任とってくれるんですか?
 金ですか?
 金を代償に、
 人生がコレで終わるかもしれないことに参加させ
 それを嫌だと言えば、
 内申点などこれまた今後の人生を左右するようなものに
 影響させるかもしれないと脅すことは、
 脅迫じゃないんですか?
 そうやって上からの権力にものを言わせて
 服従させる行為は
 我々の人権を侵害してないと言えるんですか?」
とか言うな、きっと。

腐人は学校という制度に
徹底的にあわないんだよね・・・。

いまどきの子が何考えてるかわからんが、
ここはぜひ当事者のご意見なんかもききゃぁいいのに。
なんで大人にしか聞かんのか。
腐人が見てないだけか?

なんかなー現場の意見が聞こえず、つまらん。

そりゃ教師としては、
団結の心をーうんたらーとも思うだろうし
こーゆーのがあるほうが、自分の権威を簡単に示せるし
その全能感に酔いしえられるだろうさ。

でもそれ、刑務所の刑務官やら、
大企業の看板背負った社員が陥りやすい傾向で
皆、あんたらの後ろにあるもんに対し
不満を抱きつつも服従してるんであって、
別にあんたら個人に服従してんじゃないんだよ?

それに気づいてないってのは、
自分は特別だと思いこむ誇大自己につながり
ミルグラム効果を生み出す、危険な兆候なんだけどねぇ。


親はどうかといえば、
自分の子供が犠牲になるかならないかで
ゆってることが180度変わるからねぇ、あてにならん。


そうなってくっと、やっぱそこに
「なんら制限のない、自由意志による選択権があるかどうか」が
問題な気がするんだよなー。

例えば、チアのピラミッドも危険だが、
ありゃ好きでやっとることだから
死のうが何しようが自己責任だろ?

でも体育は教科だ。
っつっても、普通の授業の範疇なら事故は少ない。
なのに、こういうハイリスクなことを
わざわざ強制でさせる、そこが問題なんじゃないの?

社会で生きてく上で、特に役にたたねぇんだし
体育祭自体をやめちゃえば?と個人的には思うが。

百歩譲って、全員でやることに意義があるなら、
PLの応援でやってた人文字じゃいかんのか?
あれなら怪我人でないし。

身体を動かさないとってなら、
プレートじゃなく動いて人文字つくりゃいい。

ってか、いっそ、ハカでもやれば?

なんなんだろな、
なんか「こうでなければ!」臭くてうんざりする。
AがダメならB、Bが駄目ならC、Cが無理ならDって
どんどんアイデアだして変えてきゃいいのに、
なーんか頭が固いよな。

まぁ、この旧態依然で、従来どおりであることを
最も尊ぶべきものとしてそこから変えようとしない姿勢は、
ゆで蛙だと思うけどね。

誰かが死んで、やっと
自分たちが火薬庫の隣で火遊びをしてたことに気づくのかな?


そんでツタヤ図書館。

正直、その論調を追ってはおらんのですが
腐人の人生には図書館は切っても切れない存在なので
図書館はどうあるべきかって話は
過去に何度もしている。

図書館なんて人によって求めるもんが全く異なるので
万人がGoodと思う図書館の成立なんて絶対無理だ
ってのが、腐人の結論ではあるんだが・・・。

例えば国会図書館。
目的が「議員の調査研究に資するため」。
よって、日本で発行された
すべての資料を集めようとしている。

結果、「調べる」には適しているが
「読む」には不適な図書館になった。

一方、公立図書館というものは、
「すべての国民は,いつでもその必要とする資料を
 入手し利用する権利を有する」ために存在する。

よって、「調べる」よりも「入手し利用する」ことが重視され
史料的、資料的価値はあるが、それを必要とする人は少ない本より
多数が読みたいと思う本を多く蔵書するようになった。

が、史料的、資料的価値を求める人もおり、
そういう方々も「すべての国民」の一人だ。

結局、この多数のために少数を切り捨てていいのか、
少数を大切にするために多数の希望を無視していいのか
っちゅー永遠に解けない命題を抱え込んでるんだよね、
公立図書館って。

腐人にしてみりゃ、
図書館という「場」がどうあるべきかって点は
管轄内に最低でも図書館を2個つくって、
1つは史料的、資料的価値のある本を所蔵し、調べる場所として存在、
もう1つは読み物を所蔵し、人が集まる場所として存在と、
すみ分けちゃえばいいんでね?と思う。

静かな図書館が好きな人は、
自宅からどんだけ離れてようが前者にいき、
人が交流する場がいいと思う人は
自宅からどんだけ離れてようが後者にいけばいい、
そんだけじゃないのか?

利便性?
離れてるのが嫌なら、自分が引っ越せ。
以上、だ。
個人の我侭にまでつきあってられっか!

予算上、1つしか建てられませんとなると、
その中で区分けしろ、だな。

それなら入りきらないって?
早く行けばいいだけデショ。
以上、だ。

なんかなーなんで到底無理な
全員を満足させようとか思うんだろ?
そこ、間違ってるし、永遠に無理だからね?


でもって、図書館が所蔵するにふさわしい本とはなんぞや?
って話になると、
「すべての国民は,いつでもその必要とする資料を
 入手し利用する権利を有する」ってのが理念なんだとすると
一人でもリクエストがきたものは所蔵すべき、
ってことになるのかなぁ・・・。

この辺は・・・腐人にしては珍しく、主張がしずらい・・・。

や、だってこれが通って腐人の欲望のままに
図書館にリクエストオーダー始めたら
按察使文庫(by『白暮のクロニクル』)のよーな
思いっきり偏った所蔵になるからさ・・・ははは・・・(^_^;)

世の中には、腐人にとっちゃ、
紙とインクの無駄にしか思えない本でも
バカ売れしてるもんもあるし、
図書館に選書されて入荷したものでも
誰にも借りられてない本もある。
でも、だからといって内容がない本なわけでもなかったり。

難しいんだよね、ここら。

なので、その選書をどうするかは、やっぱ基本にたちかえり
「その必要とする資料」ってことで、
リクエストがあったものは買う、が
一番シンプルで、すっきりする気がするんだよね。

予算ありき、
その枠の分は、年度内になんでもいいから購入する、
とか、
蔵書数×万冊です!ってのを誇るんじゃなくてさ。

基本理念を大事にしませんか?

それでも不平不満がでて問題は残ると思うけどね。


●ハカ

上でハカでもやれば?と書いて思い出したこと。

ラグビーでオールブラックス(ニュージーランド代表)が
試合前にハカを踊るんだが、
相手チームはそれにどう応えりゃいいんだろう・・・ってのが
結構、悩ましいものらしい。

一番いいのは、ハカに対してはハカで応えることらしいが
(ニュージーランド国内ではそうしてる)、
そういうわけにもいかん。

腐人なんぞは、ただ拍手すりゃいいんじゃね?
とか思うが、それだと見物人になっちゃうのか。

相手が、戦意高揚や鼓舞でやってることに対し
自分たちはどう対抗するか。

うーん・・・。
でもさ、重要なのは、試合で勝つことでしょ?
試合前がどうあれ、結果だしゃいいんじゃないの?

と腐人は思うがな。


むしろね、ハカがもつ意味をみたなーと思ったのは
今年の夏だったかな。

ニュージーランドの男子校に30年近く勤めてらした先生が
55歳の若さで急死したんですよ。

とても慕われていた先生だったのか、
霊柩車が学校にやってくると、
集まった在校生と卒業生、1700人が
亡き先生を偲んで、一斉に「ハカ」を踊るんだよね。

それがユーチューブにUPされてるんだが
(『PNBHS Haka for Mr. Dawson Tamatea’s Funeral Service』)
これがもう、どんな言葉よりも胸を打つ。

先生!彼らの気持ちは届きましたか?


腐人にしてみたら
組み体操よか、こっちのが全然いいし、
伝えてくるもんがあると思うけどね。
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[ 2015/10/07 ] 腹黒日記&読書録 | TB(-) | CM(-)
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