ってタイトルにしても、
「海の館のひらめ」ってなんじゃ?
っちゅー方のが多いと思うので、
ざっくり説明するとこから始めましょうか。
これは、
『安房直子コレクション 2 見知らぬ町ふしぎな村』に収録されてる短編で、
実直で、勤勉さがとりえの少年が、
一流レストランで働いているのですが、
口も立ち回りもうまくないので、
ずーっと下働きをさせられている。
ある日、食材としてやってきた「海の館のひらめ」が
その少年の一途に働く姿をよしとして、
力になるといい、少年にアドバイスして、
自分の店をもたせ、料理を教え、お嫁さんまで手配してあげる、
っちゅー感じかのぅ。
なんか腐人があらすじ書いたら、
安房さんのもつ、不思議な感じが丸つぶれになっている・・・。
まぁ、今回問題にしたいのは筋だからいいや。
あの独特の世界観を読みたい方は、
下記にカウントした本書をお読みください。
あれは安房さんの本文読んでこそ伝わるものだ。
で、ですね。
このコレクションは、安房さん没後にまとめられたので、
巻末に、収録作品に対して
安房さんがエッセイとして書かれたものを
あとがき代わりに収録してあるんですわ。
ほんで、そのエッセイの中に、
この「海の館のひらめ」に対してのものがあり、
そこにこうあったんです。
ちょっと長いけど、そのまま引用します。
()は腐人補足。
『(子どもの世界は)弱肉強食
「正直者が馬鹿をみる」というようなことが、
いくらでもおきている世界です。
そういうところで、
傷ついて帰ってくることの多かったわが子に、
私は、どうしても、
「もっとしたたかになりなさい。
やられたらやりかえして、
取られたら取りかえしなさい」と、
教えることができませんでした。
どんなに損をしても、正直で、まじめなのが一番いいのだと、
今、つらい思いをしていても、
神様がちゃんと見ているよと、教えたかったのです。』という思いから、この「海の館のひらめ」が生まれたそうですが、
それ自体はいいのだ。
フィクションだからね。
でも、こう教えることはどうなのだろうか・・・と、
腐人は思っちゃったんですわ。
確かにね、安房さんのおっしゃることが通る世界は理想だ。
ウソつきが、バカをみて、損をして。
正直者が報われれば、そりゃそれに越したこたぁないが、
ま、現実世界は逆だ。
強かじゃないと、食い物にされるだけ。
嫌だといえないと、利用されるだけ。
自分の権利を守れないと、踏みつけにされるだけ。
生きることは、戦いだ。
これが現実だわなぁ。
だから、安房さんご自身がおっしゃってるように、
安房さんの理想を教えた子どもさんは、
現実世界で、傷つくわけだ。
とはいえ、腐人は傷つくことって、
実はいいことだと思ってる。
これ以上ない勉強だと思ってる。
なぜなら、傷つくことで、傷つけられる痛みがわかるし、
自分に経験と耐性がつく。
傷つけられたくなければ、どうしたらいいかの知恵もつく。
ね、悪いことばっかでもないでしょ?
むしろ、これを経験して乗り越えて、
心が古傷だらけにならないと、
強いメンタルってできないと思ってる。
あ、でもこれ、ちゃんとその裏に、
「私は愛されてる」
ってことが自覚できなきゃダメだよ?
それと、これとは別に、
「親から教わったとおりに生きたら、
石つぶてを投げられた」
とすると、
「親だからってその言うことの100%が正しいわけじゃない」
ということを学んじゃうわな。
まぁ、実際そーゆーもんだから、それもアリかと思うが、
姫とか王子みてっと、
親は100%絶対的な存在なんだよなぁ・・・。
それが世界、というか。
なので、それが崩壊するってのを、
果たしていくつぐらいで経験すべきなのか、うーん・・・(~_~)
とか思ってしまったのですわ。
腐人なんぞ、保育園の段階で、
この世界の崩壊、心の重傷、強かさを持たねば人は負ける、
ってな哲学を学んじゃったから、
こんだけヒネてるわけで。
腐人に子どもはおらんので、
はっきりいってどーでもいいのだが、
安房さんの理想は理想として、
それを否定する気はないけれど、
やっぱりある程度の段階で、
現実の厳しさを家庭で教えておいてもらわんと、
打たれ弱い、人としての根っこが貧弱な、
メンタルぼろぼろ人間が製造されちゃう気がするんだよなぁ・・・。
ヨハネス・フリードリヒ・レオポルト・フォン・ゼークトさんによれば
「無能な働き者。これは処刑するしかない。」
らしいしね。
それにしても、いろいろ考えてしまう童話だなぁ。
(680)一般本 『安房直子コレクション 2 見知らぬ町ふしぎな村』 安房直子